高松小学校4年生に「心のバリアフリー」の授業

高松小学校4年生に「心のバリアフリー」の授業

2024.12.3
高松小学校4年生に「心のバリアフリー」の授業をさせていただきました

情報が手に入りやすくなっていて、子供達も知識としてはたくさんのバリアフリーを知っているようです
知識として知っている「手助けする」ということを、なぜ必要なのか?
「心」をつくる時代に入ったことを感じました
20年一度も出逢ったことのない質問がありました🫢

「人を助けることは、自己犠牲ですか?」
正直びっくりしました🫢
そして、人がつながり助け合うことの伝え方について、考えさせられました😂
今、学んでいる選択理論心理学の中で、自分の欲求充足は自責とあります
他の人の欲求充足のお手伝いをしながら、自分の欲求充足をする、これもOKです
だとすると、
自己犠牲と感じる場面での手助けは、欲求充足になりません
まさに、この人のせいで犠牲になった!になります
「助けなければいけない」という倫理にとらわれるのは、良くないと思いました

自分が疲れてヘトヘトとか、体調が悪い中でやっとバスに乗って座れた状況で、目の前に妊婦さんや高齢者が立っているとする
優先席でないなら、座り続けても良い
その時、「変わらなければいけない」は、つらいし自分の欲求充足を阻害することになる
つらさからネガティブな感情も湧くでしょう
この人が私の前にたたなければ…と

選択理論では、その時、自分の欲求充足が阻害されるとしたら、席を譲らない選択しても良いと伝えています
世界で学ばれている選択理論、思いやり文化の日本人には多い問題なんだそうです
学んでいなければ、もしかしたら私はその小学生に「困っている人が目の前にいたら大変でも助けてあげてもらえますか」と答えたかもしれません
昨日は、「自分が助けてあげたい、自分が今助けてあげられる状況だと思ったら助けてあげてね、それなら、自己犠牲ではないと思いますがどうですか?自分もうれしい!相手もうれしい!が良いと思います」と答えました

その児童は、笑顔になり「自分が助けてあげられる時には手助けします」と返してくれました
価値観や倫理観によって、捉え方は自由です😊
自分が砂漠でカラカラで残り少ない命の水を、砂漠で出会した人がカラカラだからと残り少ない水を飲ませることは難しい😓
自分が満たされているから与えられる

今回の小学校の授業で学びをアップデートできました
「学び」は日常の中の気づきから生まれると改めて感じました😊

本当に感謝です
ありがとうございます

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